8/18(木)冷蔵庫と洗濯機の配布とヒアリング【東松島にて】

この日は、私たち夫婦には最終日。
東京のS君と夫と私の「家電回収チーム」が、そのまま「家電*配布*チーム」となり、冷蔵庫と洗濯機を配布。
あとでの3人の一致した感想は、回収から配布まで一貫した作業ができて良かった、ということ。どれだけ家電が望まれ、喜ばれるかを肌で感じ取り、また集めようという決意につながった。

行き先は主に東松島市石巻の大街道地区。
手順は同じなので、配布しながら聞き取りしたことを書いて行きます。


  • 年配の女性(70代位)は、お話をしたかった模様。男衆が冷蔵庫を運んでいる間に、立ち話。

「3.11の地震は揺れが30分以上おさまらなかった。止むかと思うとまた大きくなった。足が悪いので家の中にいた。自宅前の少し低い所のお宅のブロック塀まで津波が来てたのに、ただ見ていた。こっちに来るに決まってるのに。流された時は、汚い水を飲んで苦しくて、いつになったらお花畑(死後の世界)が見えるんだろう。早く楽になりたいと思った。この日たまたまお父さん(ご主人)がしまわなかった寝具のマットレスがあって、それが流されて来てどういうはずみかその上にあお向けに乗っかったので助かった。うつ伏せだったら死んでいた。
避難所では、スーパーから流されたと思われるものを使った。食べ物やティッシュなど。自宅に戻ってからも、養生シートやペンキなど、みんな流れ着いたものを使った。
震災前は、この辺でもご近所づきあいはほとんどなかったが、最近では、それぞれが入手した食料を分けあうようになった。ドアも窓も取れてしまったから、お互いに「留守にするからよろしくね」と声も掛け合うようになった。
うちの窓は元々は腰高だったが、壁が壊れたお隣の掃出し窓をもらって、それを付けたから、今は掃出し窓になっている(と言って、該当の窓を指差す。そんなことができるのかと、聞いている私はびっくり!)。」

今、困っていることは?というこちらの質問には、

「贅沢言ってはいけないんだけど、ミシンがあればなー、と思うの・・・。着るものとか買えばいいのかもしれないけど、お店が遠いし。何より、うちの納屋にミシンを置いて、みんなでおしゃべりしながら何か作れば、気持ちも和むかなと思って。」
と、ここでもミシンの要望。

いずれはミシンも寄付を募ってお渡ししたいなぁと思うが、最低限の生活必需品のがまだ足りないくらいだからな…。
ドアも窓も壊れてすかすかになった家で住んでいる人がいるって、被災してない地域の人には正直理解できないだろう。でもそれが現実。そうせざるを得ない状況がある。経済的な問題も大きいが、年配の方には、離れがたい思い入れもあるのかもしれない。その辺をつっこんで聞いてみても良かったか。ヒアリングはいつも迷いの連続だ。

このお母さんの家のすぐ近くで洗濯機を運ぶイケメン(?)2人。トラックが入れない道は台車で押していく。
壊れた家やブロック塀がまだまだ残るところに住んでいる人たちがいる。

  • 30代くらいの女性Mさん

「洗剤とかトイレットペーパーとか、お水があると助かる。(とってもとっても遠慮がちに)チーム王冠の物資配布の頻度がもう少し高いとありがたい。」

私が、「なかなか頻繁に来られなくてごめんなさい。王冠はまだ何の支援も受けられていない人たちを今も探しているんです。他のメンバーの話だと、メモ帳やタオルなど、震災初期の頃の物資を持って行くとあっという間になくなってしまう地域があるそうなんです。こちらのことを忘れているわけではないんですけど・・・」と説明したら、Mさんは
「タオル、そう……。いえ、こっちのことはいいです!」と。

また私たちが東京と横浜から来たと聞いて「そんな遠くから悪いですねぇ」と恐縮しきり。
私「お互いさまですから」
Mさん「でも・・・」
私「横浜の私の家も海から4〜5キロなんです。ひと事じゃないんです。何かあったらみんなに助けてもらいたいと思いますもん!」
Mさん「その時は行きます行きます!」と笑顔。
私「絶対ですよ、絶対来てくださいよっ!(笑)」
Mさん「行く行く!(笑)」
私「じゃあいいんですよ、それで。今は私たちが来る番だから」
Mさん「うん…」

納得してもらえたようで笑顔で手を振って別れたので良かった。自己満足かしら…。いつも迷いが付きまとう。



   


  • どこでだったか、トラックに乗り込もうとする私たちに手を振るおばあさん。

「昨日(前日も夫たちが配布していた)は冷蔵庫をありがとう。嬉しくて涙出たーー。」と。
こちらこそありがとうございます。


  • 60代位の女性

私が、生活が急に変わってしまって大変ですね、と言ったら、
「今まで別々な部屋で寝ていた者が、何人かで同じ部屋で寝るようになったからストレスはある。急にそういう生活になったから。私はこんなになった家に戻りたくなかったけど、お父さん(ご主人)が戻るって言うから・・・。私はもっときれいなところが良いんだけど。」

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東松島のあるお宅を、了解をいただいて撮影させてもらった。
ここの60代と思われるお母さんは「日本人の助け合いって、素晴らしいね、ありがたいね」と支援を喜んでくださり、家の写真を撮られるのは恥ずかしいけどお役に立つなら、と協力してくださった。
グループのリーダーさんでもあり、離れたメンバーのお宅まで車で先導してくださったりもした。


前日の石巻の湊地区のお宅と同様、1階を津波に流された。
こんなに広いお宅、床下の泥出しもまあ大変だっただろうな。

仲間のS君の視線の先は、壁に残っている津波の跡。
靴のままどうぞと言われ、そのまま土足で上がらせてもらった。

脱衣所。椅子の場所は元々洗濯機を置いていた。
ここの床は剥がさず、四角い穴をあけて、そこから泥を出したとのこと。


食卓は外! 家から張り出した屋根の下にテーブル。
写真に写っているコーヒーをごちそうになりました。
流されて使えなくなったトラックが調理台。


トラックのフロントガラスは津波でこんな状態。


食卓の奥は物置のように見えるけど、ここもちゃんとした部屋だったとのこと。



写真には撮らなかったが、洗面所も外に設置していた。
失くしたものや足りないものを調達したり、片づけしながら、何とか一生懸命、生活をやり繰りしている様子がよく分かる。


この後は、大街道地区へ。