年末に思うこと

自分の記録用も兼ねて、日記風に。


きょうは仕事が休みの夫、「眠いからちょっと寝る」と言って寝室に行ってから3時間。こんなに長い仮眠を取る夫は記憶にない。さすがに疲れが溜まっている模様。
私もお店のお客さんが減って楽になってから、ドッと疲れが出たようで、最近は寝ても寝ても眠い。

プロジェクトの会長そーちゃん(笠原氏)は、夏の家電回収が一段落した秋になって初めて「一人暮らしの部屋で、夏に冷蔵庫・洗濯機に囲まれた生活は精神的に極限だった」と漏らした。
回収した大型家電を、2階の自分の部屋に一人で運び込んだ。雨の日も。ワンルームの部屋にベランダも使って、東北に届けるまでの一時保管のために、10台以上の大型家電に常時囲まれた生活だった。

「回収した冷蔵庫をどけないと自分の冷蔵庫が開けられない(-_-;)」という、そーちゃんの言葉にみんなで大笑いしたけど、当人にしてみたら笑えなかったよね…。

私たち夫婦は、仕事を終えてから家電回収に行って夫の実家に一時保管、夜中に帰宅するという日が、週に3〜4日あったかなぁ。常時睡眠不足だった。仕事も忙しかったから、食事も取らずに出かけて、車中でコンビニのパンで済ませたり。
被災地でもどこでも、今年ほどコンビニのありがたさが身に染みたことはなかった。食べ物飲み物が何でもあって、汚れた手を洗い、トイレを快く貸してもらえる。本当に本当に助かった。

東北でも夏は暑かったなー。あれにはびっくりした。関東と全然変わらなかった。
大型家電配布の時は、熱中症対策していても暑さで気持ち悪くて、倒れるかと思った。男性とは言え、私より大型家電を持って被災者宅に運び込む回数の多かったそーちゃんや夫の疲労はもっと大きかったはずだ。

10月には車の教習所に通った。
私の運転免許証がオートマ限定なのでマニュアルのトラックが運転できない。オートマ限定解除のためだ。
教習で教官からのコテンパンな言われように、不覚にも涙。人前では泣かないのが信条なのに。オンナたるもの、涙という武器はここぞという時のために取っておくものだ。(笑)
「被災した人は毎日大変な生活なのに、こんなこともできなくて『人のお手伝い』なんて情けない」と思ったら、オートマティックに目から水分が出てきた。あれはきっと汗だな。

そんなこんながありつつも、止めたいと思ったことがないのは、被災地の皆さんには本当に助けが必要なんだ、と毎回感じるからだ。現地で知り合ったボランティアもみんな素晴らしい人たちだった。自分の頭で考え、少しでも良い方向へと黙々と行動し、場を和ませるジョークも面白かった。出会ったきっかけが震災だというのが切なく、残念だった。
そして、現地へ行く私たちを支えてくれた後方支援の人たちから勇気を得た。見ず知らずの人が、信頼して物資や寄付金を託してくれるありがたさは、表現のしようがない。



私たちだけでなく、みんなみんなお疲れさまでした。

被災した人たちは「お疲れさま」なんて生やさしい言葉では済まなかった今年。

ボランティアに行かなかった人、行かれなかった人にとっても、震災の影響を受けなかった人はいなかった今年の日本。

うまくまとめる言葉が見つかりませんが、ひとまずは「お疲れさまでした」。本当にお世話になりありがとうございました。





これまであまり載せてこなかったボランティアたちの風景を載せておきます。


凛家にて。お盆の時期だったのでボランティアがいっぱい!

夜のミーティング直前。








小学校に届ける自転車をみんなできれいにした。


ボランティアビレッジになっている東松島の野蒜小学校に荷物の運搬。真っ暗でちょっと怖かった。



時間切れでストーブ配布終了。残ったストーブを、たまたま近くにトラックで来ていたチーム王冠の大津君に渡して倉庫に預かってもらうことに。帰路につかねばならなかったので、ものすごく助かった。

トラックのお尻とお尻をくっつけて、小雨の中でストーブを移動し終えた後の画像。
この後文字通り反対方向へ別れた。トラックの向かう先は違うけど、志は同じ方向を目指す者同士。私の好きな写真
(左奥が大津君の、右側が夫の運転するトラック)





こんなだったところが…。

12月にはこのように。



角度は違うけど、こんなに外壁がスケスケだった倉庫が…。

12月にはにきれいになっていた。
しかしそれと同時に、元々の倉庫の持ち主さんに返還したとのこと。



オートマ限定解除は通ったけど、実際はまだトラック運転していない。
取りあえず、運転している*風*の写真を撮ってもらった。