ボランティア仲間からの情報---福島の離散家族への支援

東北ほっとプロジェクトのストーブ配布もお手伝いくださった女性、梶谷さんのツイッターでの情報発信をご紹介します。
梶谷さんが取り上げている本田光太郎さんは、山形県在住で、私も石巻で2度ご一緒に活動した方です。
ボランティアを送り込むために種々のコーディネートをし、ボランティア未経験の人でも力を発揮できるよう工夫し、もちろんご本人も頻繁に現地入りして来られました。

その本田さんが活動費がなく窮地に立っています。ぜひお力をお貸しください。
  <振込先>山形銀行 東山形支店
  <口座番号>普通 870269
  <口座名義人>山形ボランティア隊


以下、梶谷さんからのレポートです。

石巻からの帰路。仙台で、福島からの自主避難者やその家族の為に、福島↔山形を走る民間バスを個人で借り上げ運行している本田光太郎さんと会う。山形ボランティア隊の隊長。離散状態にある避難家族のケアのために毎週バスを出している。月160万円の費用を自己負担し、2ヶ月運行してきた。

以下、本田さんが話して下さった内容。福島から他県への自主避難者は、約14,000人。うち13,000人が山形に避難。課題は大きく二つ。六月から山形で自主避難者を受け入れはじめたが、実態を福島県山形県も全く把握できていない。誰がどこにどういう家族構成でいるのか分からない。

一度行政がアンケートをとったが、回収率30%。かつフリーアンサー形式にしたため有効な情報が集まらなかった。行政は一度アンケートをとったので、以降状況把握を進めていない。 NPO自主避難者の状況把握に努めているが、広範な範囲に点在しているため、接点がある方しか分からない。

福島からの避難者は大きく二種類。警戒区域内の方は、家族単位で避難される方が多く、世帯主の方も避難先で職を探す方が多い。一方原発から半径40-50kmの自主避難者の7-8割は母子避難。生活を支える世帯主や母子以外の家族や知人は福島にいる。二重生活を続けている。

自主避難は、必ずしも周囲の理解を得られるとは限らない。福島に残る人から、何故自分だけ避難するのか、非難されることもある。生活基盤をもち福島にいる旦那さんと意見が会わない方もいる。二重生活で経済的にも苦しい。二重生活に新たにかかる費用の半分は交通費だそうだ。

精神的なすれ違いや、経済的な困窮からくる絆の崩壊を防ぐ一助になればと、本田さんは山形↔福島のバスを運行してきた。行政に助成を依頼したが、福島県は、『自主避難者は、本来福島県にいるべきもの』として、自主避難者や、その方々を訪れる方々へのバスの支援は認めない。

福島県山形県は『福島県が頼んだ話ではないし、前例がない』との回答だったそうだ。山形⇆福島を走るバスは、本田さんの持ち出しと山形ボランティア隊など被災地に寄り添い、本田さんの活動を見つ続けた方々の寄付で運行してきた。その費用がなくなり、バスの運行が厳しくなってきた。

状況をメディアに取り上げてもらい、二週間で150万円ご協力が集まった。今後もバスを継続すると共に、春からは福島の子供達を山形に連れて、屋外で思い切り遊びバスで帰るなどの企画を現状の運行に取込んで行く予定。ある福島の一年生は、震災以降、一度も屋外で砂場で遊んだことがない。

原発という先行き不透明な問題の中で、コミュニティの崩壊を止めたいと、体をはっている本田さん。どうか本田さんの活動をご覧いただき、ご協力を心からお願います。福島の方々への支援バス。ご支援のお願い - Yahoo!ブログ http://yahoo.jp/3VLJul

東北ほっとプロジェクトの活動もまだまだ継続します!!
私たちの応援をお願いしたいのはやまやまですが、福島の人たちの問題はまた特殊。共感するという方は、ぜひこの本田さんの活動の応援もお願いします。
(活動資金の送金先は、この記事の冒頭にあります。)

ミュージカル「とびだす100通りのありがとう!」

公式ホームページ
http://minna-arigato.com/

いつまで閲覧できるのか分かりませんが、載せておきます。
3/19(月)のNHK総合「ニュースウォッチ9」の特集です。
http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/?date=120319_1


「お世話になった日本中・世界中の皆さんにお礼が言いたい」と、被災者が自らの体験を語り歌い踊るミュージカル。

この作品の構成・音楽などをつとめる寺本建雄氏とは、以前に同じ劇団で働いたりした経緯で、今回の舞台の裏方をお手伝いすることになりました。当時の私はアルバイトの身分で、しかも広報の事務補佐的な仕事しかしていなかったので、お役にたてるか不安でしたが、とにかく人手が足りないということで、東京実行委員のメンバーに加わりました。

3/18(日)、銀座での2公演は大成功で幕を閉じた。
私は主に楽屋でタイムキーパーや雑務を担当。その合間に舞台稽古やゲネプロ、本番を切れ切れに観ることができた。

公開ゲネプロ直前の立ち位置確認


みんな本当に素晴らしかった

舞台は、冒頭から九死に一生を得た体験談がゴロゴロ出てきて、客席の後方にいても、お客様が涙をこらえる様子がよく分かった。こらえ過ぎて咳きこむ人がたくさんいた。

でも苦しい中でもユーモアもあり、ドカーンと笑えるシーンもたくさんある。体験談、歌、ダンスがどんどん繰り広げられて、お客様は一時も目を離せない。会場の温かい雰囲気に勇気づけられて、出演者たちも力を発揮できたと思う。最高のお客様に恵まれた。


昨年末からの準備の段階から、この舞台は震災で被災した人たちのもので、お手伝いの私は、どこか入り込んではいけない遠慮を感じていた。
でも2月のレコーディングの時、寺本さんや出演者の前谷ひろしさんから「世界に向かってありがとうを言いたい気持ちは同じなんだから、一緒にぜひ歌おう」と言ってもらえてとても嬉しかった。世界中の支援にお礼を言いたい気持ちは、震災直後からずっとあったから。

だから、本番でも一緒に歌った。近くのお客様に迷惑にならないようにほとんど口パクだったけど。
2階席最後尾から舞台のみんなに手を振りながら、歌が地球をグルッと回る様を思い浮かべながら、世界に向かって歌を歌えた。こんな機会を得られるなんて想像もできなかった。

みんなに本当にありがとう、ありがとう、ありがとう。


1月に東松島高校の体育館で参加者に会った時、表情が硬い人が多かった。頬の筋肉が板のようで、笑っていても目に力がない人がいた。そういう人たちが、お稽古を重ねるごとにたくましくなっていった。
本番では、力強くも柔らかい自然な笑顔が舞台と楽屋に弾けていた。疲労で声が出なくなった人もいたけど、「伝えるんだ」という気持ちがあれば、かすれた声でも舞台の観客に届く。2階席の最後尾にいてそれを実感した。

2回目公演の直前、男性楽屋では気合の入れ直し!



石巻日日新聞は、号外発行! なんて粋な取り計らい!!
※しかしこの号外、3/18の日付なのに、なぜか17日の公開ゲネを観にいらした方にも配られた(笑)。

表にはみんなの笑顔。

裏面には、舞台の歌に出てくる宮城名物の写真。



この舞台は、多くの人の心に刻み込まれた作品になった。たくさんの人の力が結集してなし得たことだ。
でもやっぱり寺本さんがいなかったら絶対に存在しない舞台だった。
参加者から体験を聞きだし、被災地を取材し、音楽や美術にも心血を注いだ。
歌や演技の指導も厳しかった。シロウトをシロウト扱いしなかった。「被災者みたいな顔して歌うなっ!!」なんてズバッと言えるのは、寺本さんだからだ。言葉は厳しくても愛があるからみんなついて行く。

レコーディングの時の寺本さん。
ギター、笛、いろんなものを使ってみんなを引っ張っていく。


本番当日のパンフレットに「3.11を忘れないために」と寺本さんが書いている。
同じものが歌のCDにも書かれている。

「俺たちは悔しいんだ」ってことが、舞台冒頭の最初のセリフで伝わってきた。寺本さんは、みんなの気持ちを見事にセリフにして世に送り出したのだ。



東京実行委員としては、もっと余裕を持って出演者を迎える体制を整えるべきだった。ドタバタしっぱなしで情けなかった。「もう1回再演してくれれば、次はちゃんとできるのにねぇ」と何人ものスタッフと話していた。

スタッフの打ち合わせ資料と台本。


出演者にもまだまだ語り足りない人、歌い足りない人、踊り足りない人がいるんじゃないかなぁ!
当初の予定では仙台でも公演するはずだった。でも資金不足で断念。震災前から不景気で、文化的なことは真っ先に経費が削られていくご時世。仕方ないかもしれない。形に残らないから企業の業績としても分かりにくい。

しかし今回、公開ゲネも含めておそらく2,500人位の人がこの舞台を観て、その中にはスポンサーになるという人がいるんじゃないか、、、と密かに期待している。
そういえば、わざわざフランスはパリから取材に来たラジオフランスの人たちが「ぜひパリ公演を」と言っていたという。「招待してくれたら、私も裏方としてついて行ってあげてもいいよ」なんて、都合のいい妄想を抱きつつ舞台の余韻に浸っている。
秋篠宮様紀子様佳子様もご臨席くださった舞台なんだもの。何があっても不思議じゃないよね♪


素晴らしい時間を本当にありがとうございました!!

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東北ほっとプロジェクトの仲間、そーちゃん(笠原宗一郎)とその後輩のヤブ(薮野淳也)の作った、プロモーションビデオ。この時よりも本番は5倍以上良くなった!!


節目の日に

前回の書き込みから2か月半も経ってしまいました。
時々見に来てくださっていた方には本当に申し訳ありません。東北ほっとプロジェクトでは時々活動報告を挙げておりました。今後も私たちの活動をお見守りいただけましたら幸いです。
また、本日付で会長の笠原が「東日本大震災から一年」としてコメントを載せております。よろしければご一読ください。
http://tohoku-hot-project.blogspot.com/2012/03/blog-post_11.html
  

私自身はきょうは自宅で仕事しながら、新聞を読んだりテレビの震災関連番組などを見たりしていました。いろいろと思うことはありましたが、私のような外野が何かを述べる日ではなく、きょうはとにかく亡くなった方々のご冥福と、また被災されてから懸命に一日一日を重ねて来られた方々のこれからのご多幸をお祈りするだけでした。

今までお世話になった皆様にあらためて感謝申し上げるとともに、今後も地味でも地道過ぎても、やはり自分のできることを考え続け、行動し続けようと決意を新たにしました。熱い気持ちと冷静な頭脳をもって、単なる自己満足でなく、被災された皆さんに寄り添って行きたいです。

年末に思うこと

自分の記録用も兼ねて、日記風に。


きょうは仕事が休みの夫、「眠いからちょっと寝る」と言って寝室に行ってから3時間。こんなに長い仮眠を取る夫は記憶にない。さすがに疲れが溜まっている模様。
私もお店のお客さんが減って楽になってから、ドッと疲れが出たようで、最近は寝ても寝ても眠い。

プロジェクトの会長そーちゃん(笠原氏)は、夏の家電回収が一段落した秋になって初めて「一人暮らしの部屋で、夏に冷蔵庫・洗濯機に囲まれた生活は精神的に極限だった」と漏らした。
回収した大型家電を、2階の自分の部屋に一人で運び込んだ。雨の日も。ワンルームの部屋にベランダも使って、東北に届けるまでの一時保管のために、10台以上の大型家電に常時囲まれた生活だった。

「回収した冷蔵庫をどけないと自分の冷蔵庫が開けられない(-_-;)」という、そーちゃんの言葉にみんなで大笑いしたけど、当人にしてみたら笑えなかったよね…。

私たち夫婦は、仕事を終えてから家電回収に行って夫の実家に一時保管、夜中に帰宅するという日が、週に3〜4日あったかなぁ。常時睡眠不足だった。仕事も忙しかったから、食事も取らずに出かけて、車中でコンビニのパンで済ませたり。
被災地でもどこでも、今年ほどコンビニのありがたさが身に染みたことはなかった。食べ物飲み物が何でもあって、汚れた手を洗い、トイレを快く貸してもらえる。本当に本当に助かった。

東北でも夏は暑かったなー。あれにはびっくりした。関東と全然変わらなかった。
大型家電配布の時は、熱中症対策していても暑さで気持ち悪くて、倒れるかと思った。男性とは言え、私より大型家電を持って被災者宅に運び込む回数の多かったそーちゃんや夫の疲労はもっと大きかったはずだ。

10月には車の教習所に通った。
私の運転免許証がオートマ限定なのでマニュアルのトラックが運転できない。オートマ限定解除のためだ。
教習で教官からのコテンパンな言われように、不覚にも涙。人前では泣かないのが信条なのに。オンナたるもの、涙という武器はここぞという時のために取っておくものだ。(笑)
「被災した人は毎日大変な生活なのに、こんなこともできなくて『人のお手伝い』なんて情けない」と思ったら、オートマティックに目から水分が出てきた。あれはきっと汗だな。

そんなこんながありつつも、止めたいと思ったことがないのは、被災地の皆さんには本当に助けが必要なんだ、と毎回感じるからだ。現地で知り合ったボランティアもみんな素晴らしい人たちだった。自分の頭で考え、少しでも良い方向へと黙々と行動し、場を和ませるジョークも面白かった。出会ったきっかけが震災だというのが切なく、残念だった。
そして、現地へ行く私たちを支えてくれた後方支援の人たちから勇気を得た。見ず知らずの人が、信頼して物資や寄付金を託してくれるありがたさは、表現のしようがない。



私たちだけでなく、みんなみんなお疲れさまでした。

被災した人たちは「お疲れさま」なんて生やさしい言葉では済まなかった今年。

ボランティアに行かなかった人、行かれなかった人にとっても、震災の影響を受けなかった人はいなかった今年の日本。

うまくまとめる言葉が見つかりませんが、ひとまずは「お疲れさまでした」。本当にお世話になりありがとうございました。





これまであまり載せてこなかったボランティアたちの風景を載せておきます。


凛家にて。お盆の時期だったのでボランティアがいっぱい!

夜のミーティング直前。








小学校に届ける自転車をみんなできれいにした。


ボランティアビレッジになっている東松島の野蒜小学校に荷物の運搬。真っ暗でちょっと怖かった。



時間切れでストーブ配布終了。残ったストーブを、たまたま近くにトラックで来ていたチーム王冠の大津君に渡して倉庫に預かってもらうことに。帰路につかねばならなかったので、ものすごく助かった。

トラックのお尻とお尻をくっつけて、小雨の中でストーブを移動し終えた後の画像。
この後文字通り反対方向へ別れた。トラックの向かう先は違うけど、志は同じ方向を目指す者同士。私の好きな写真
(左奥が大津君の、右側が夫の運転するトラック)





こんなだったところが…。

12月にはこのように。



角度は違うけど、こんなに外壁がスケスケだった倉庫が…。

12月にはにきれいになっていた。
しかしそれと同時に、元々の倉庫の持ち主さんに返還したとのこと。



オートマ限定解除は通ったけど、実際はまだトラック運転していない。
取りあえず、運転している*風*の写真を撮ってもらった。


第3回のストーブ配布に行って来ました!

ご報告が遅くなってしまいましたが、11/30(水)に、宮城県亘理町にストーブ配布に行って来ました。

レポートは、東北ほっとプロジェクトのホームページにアップしましたので、そちらをご覧いただければ幸いです。

http://tohoku-hot-project.blogspot.com/2011/12/3.html


あちらのホームページは、何となく「公式」でもあり、愚痴めいたことを書くのもみっともないと思い、あまり書きませんでしたが、今回は最初から目指すお宅が見つからなくて、もう本当に泣きそうでした。(^^;) インターネットの地図で住所を調べたのに、行ってみたらお宅がない、もしくは全然違うお宅だったりして難儀しました。

まず、津波被害で残っている家がどれくらいの割合なのか…。時間が経って地面には草がぼうぼうに生えて、元々が住宅地だったのかどうかも分かりません。おそらく5〜6軒に1軒が残っている状況で、その上で
住んでいると思われるお宅はさらに少なく(そういうお宅ももちろん1階は津波に流されて、片づけている途中の様相)、目的のお宅の場所を聞きたくても、すぐ近くに家も人も見当たりません。

人の姿を見かけてお尋ねするのですが、年配の方だと方言で聞き取れません。(^^;)
遠くを指差して「あの大きな家の西よ」と言われても、亘理町の地理に不案内で方角がわかりません。
そして、私が住んでいる横浜とは比較にならないくらい、一軒のお宅が大きくて広いのです。当然お庭と思われる(塀がなくなってて道と家の境もわからない)部分も広く、歩いて探すのに時間がかかります。

とにかく家屋が歯抜け状態、道も流されていて民家との境がないところもありますし、目印の建物もないので、説明する方もされる方も一苦労。道も流されていたり、草が生えて境が分からなくなっていたり。とにかく荒れ野と言うのか何と言うのか…。

防寒対策はして行きましたが、メモしたり電話かけたりするのに邪魔で手袋ははずすので手足から冷たくなっていきます。
やはり体が冷えると元気もなくなります。「せっかくストーブ持ってきたのに、ここまで来て手間取って、時間を無駄にして、何してるんだろう」と自分で自分が情けなくなりました。


私たちが苦労したと言いたいのではありません。(泣きそうになっちゃいましたけど(^^;))
ATMがあった農協も全部流されて、近所に買い物できるところもなく、道もガタガタで、固定電話もまだ通じない家がざらにあり、一瞬にして生活の必需品を失った人たちは、まだまだ過酷な状況にあるということです。

↓住人の方のお話では「ここは農協だったんだよ。ATMでも何でもあったの!それが全部なくなっちゃうんだものねー」と。確かに看板すらなく、何かの施設か倉庫かとは想像しますが、農協だとは今は全然わかりません。


次回は12/13(火)か14(水)に、現地に行ってまたストーブを配るつもりです。
今回行って、やはりストーブは必要、まだまだ支援は必要との感を強くしました。
外からの支援で現地の商売が阻害されるなどの話も聞きますが、現地では先行きの収入の不安などから、お店があったとしてもおいそれとはお金を使えない状況もあります。時間が経てば経つほど、複雑な事情が生じているようにも見えます。

やっぱり「応援していますよ」というメッセージは、ストーブに乗せて届けたいと思うのです。
ご支援、ご協力をよろしくお願い致します。

『あったかおまけ大作戦・第2弾!』

またまた更新の間が空いてしまいました!
前回11/2に第2回のストーブを配布した時にもご近所の大学生さんが作って託してくれた「あったかおまけ」。そのレポートがW先生から届いていますのでご紹介します。もうずいぶん前にいただいていたレポートなのに、私の方でのアップが遅くなってしまいました!!(^^;)

そして現在、第3回のストーブ配布につけるあったかおまけも作ってくださっている最中なのです! ありがとうございます!!

10月22日(金)、杉崎庸子さんからストーブ配布の第2弾に向けて準備を始めたというご連絡がありました。さっそく“あったかおまけ”大作戦も第2弾活動スタートです。今回、カイロは杉崎さんを通じて銚子市の川嶋徳秀様からご提供いただけることになりました。そこで「カイロは銚子市の川嶋徳秀様からご支援いただきました」とあらかじめ印刷したカードを用意。翌週、学生たちにメッセージを寄せてくれるよう呼びかけたところ、またまたカラフルなイラストや絵文字の入ったあったかいメッセージ入りカードが続々と集まってきました。「なんてみんなやさしいの!」とウルウルしながら眺めるワタクシ。…だけどよく見ると「あーっ、ここ漢字が間違っている〜!」なんてことも(苦笑)。思わず赤ペンを入れたくなりましたが、「これもかえって愛嬌かな」と思い直し、ぐっとこらえました。

今回のラッピング作業は10月31日(月)の5時限目(16:20〜17:50)。担当は気配りの人NMさんと、前回に引き続きラッピング名手のOTさん、場所はもちろん私の研究室です。ドリンクは購入担当の学生たちが、それぞれのセンス(?)で選んだゆず茶・各種ラテ・ドリップコーヒーなどを届けてくれました。このドリンクと、川嶋様からのカイロ、そしてメッセージを、二人がせっせとラッピングしていきます。



ラッピングに励むOTさん
横上できゅっと閉じるキュートなラッピングです。



NMさんは中身を詰める係。丁寧に詰めていきます。


その横で、前回に引き続きお手伝いに来てくれた男子学生4名が不足分のメッセージをこれまたせっせと書いていきます。お互いに書いたカードを見せ合って「おまえ、字キレイじゃん!」「前に習字やってたんだ。っても小学生の時だけど」……なあんてたわいのないやりとりが交わされるのをほほえましく眺めながら、ひたすら見守る私でした。不器用な私はラッピングも自信がないし、カードは絶対学生が書いた方が喜ばれると思うので(正直に認めますが、カードからあふれ出てくるパワーが違います。若いってすごい…)、見守る以外にあまりできることがないのです(再び苦笑)。



メッセージを書くSUくん。なにげに私愛用のクッションをがっつり敷いています。



SUくんの親友WSくん。東北出身です。もう窓の外は暗くなっています。



手前YYくん、奥がIJくん。IJくんは私の机に座ってちょっと嬉しそう?!


というわけで彼らの奮闘によって、50個のおまけが完成し(少し多めに用意しました)、夜19:45に大学まで取りに来て下さった杉崎さんに無事にお預けすることができました。学生たち、川嶋さま、そして今回もストーブwithあったかおまけの配布にご尽力下さった杉崎さんご夫婦やチーム王冠の方々、ありがとうございました。


まだまだストーブ配布を続けます。ご協力をよろしくお願い致します!!

東北ほっとプロジェクト
http://tohoku-hot-project.blogspot.com/

楽しい出会い

物資を配ったりする中で、楽しい出会いもたくさんありますので、ちょっとご紹介します。


山元町のリーダーさん宅の2歳のハナちゃん。
私の影になって見えにくいね…。(^^;)

体が大きくて黒くて迫力あるけど、柔軟性があって体をくねらせて甘えるかわいい子なのだ!
「8月7日にうちに来たから、87でハナちゃん」とのこと。


トラックの音にびっくりして隠れちゃった。気がちっちゃいのねぇ〜。



こちらも甘えん坊のわんちゃん。
人の会話に入ってきて「かまってかまってー」と鳴く。

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はらこめし! 

食べ始めてから写真を撮っていないことに気づき急いで撮影。そしてまたバクバク食べる!
「食べ物は撮る物ではない、食べる物だ」が信条(笑)。
前回はこのためにわざわざ行ったのだけれど売り切れだった。

炊き込みご飯に鮭といくらが載っていておいしかったーーーーー! 良いお天気と海風がさらにおいしさを引き立てた。

このお店のすぐ目の前は海。奥さんは津波が海からやってくるのを、2階から見ていたそうな。
やはり1階はめちゃめちゃだったけど、ここまで再建した。お客さんからの「再建した看板を見て嬉しかった」という手紙を壁に貼って励みにしているとのこと。

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この子のおかあさんは…

この猫さん。

この家のお父さんによると、猫9匹がいるとな。私も過去に猫を多頭飼いしたことがある。猫は寒さに弱い。宮城で外飼い!?!?
「えーーーっと、真冬も外で…?(^^;)」と聞いたら、「いや、あっちに猫専用の小屋があるんだ(^^)」と。目をやると確かに、木製の物置小屋に布を敷いた箱がいくつもある。良かった。
生活が大変な中で、猫を飼育するのも大変だと思う。でも、見捨てるつらさを思うと飼い続ける方が気が楽なんじゃないかな。おじさん、がんばって!と心の中でエールを送った。


他のお宅で、親子のワンちゃん(テリアかな?)の散歩から帰って来た奥さんに聞いた話。
「この子犬は生後2ヵ月。震災避難中の車の中で他の犬と一緒にしてたら妊娠して(^^;)。1匹しか生まれなかったし、飼ってやらなきゃねー。」と。

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行く先々で、いろんなものをご馳走になる。
突然の訪問でも即座にお土産が出てくるという、そのサービス精神にハートを鷲づかみにされちゃう。

これはごく一部で、他にも飲み物数本、豆菓子や焼きたてパン、その場でらっきょうやたくわん、アイスなどをいただいた。写っていないのはすでにお腹に収まってしまったから。
りんごは地元の山元町で採れたものとのこと。大きくて香りがすばらしい!味ももちろんおいしかった!



皆さんからのご寄付でストーブ配布して、プチわらしべ長者になりました。(笑)